2011年3月25日
大震災から2週間が経ちました。世の中は、少し落ち着いてきていますが、まだ、原発事故が、計画停電がとまだまだ大変です。幸い電車は普段の70%で動いているので何とか会社には行けます。
今日通勤コースにある神社の横の木蓮が満開でした。春は、混乱の世の中でもスケジュール通り来ています。雪柳も満開です。レンギョウが黄色い花をつけています、春です。いつもならホットする春ですが。なんだか落ち着きませんね。搬入大作戦の装置も検収がめでたく上がりました。本来なら春だ!仕事も順調!心うきうき、お花満開という気分ですが、なんだか・・・・。
今度の震災で被害を被った方々に義援金を送ろうかな。もう年でボランティアに行く体力も気力もないから・・・。
そんな年寄りに一番こたえるのは、ホームのエスカレーターが節電で止まっていることです。我が駅のエスカレーター、もう少しきれいに通行止めしたら。いかにもって感じですね。今地震が起こって、止めたみたいにガムテープで貼らなくても、階段で行きますよ!


2011年3月16日
電気がありません。ガソリンがありません。電車が動きません。ないないずくしの毎日がはじまりました。東日本大震災による影響で、東電の発電所がやられました。その結果、電気が足りないそうです。今週の月曜日から計画停電とやらで、地域ごとに停電が起こっています。戦後の空襲による電力不足の停電みたいですね。チョット古いですが・・。私の子供の頃にはよく停電があったものです。何処の家にも大きなロウソクがあり、停電になると子供達は喜んでいたものでしたが。
我々の世代は慣れているのですが、電車が動かないのには困りました。ガソリンスタンドの前には長蛇の列。並んでいても何処で売り切れるかわかりません。まるでキャンセル待ちの飛行機の列に並んでいるようなもの。はい、ここから後ろはだめです!て。
しょうがないので今日は、覚悟決めて、家内の電動自転車をかりて出勤しました。充電器と予備電池を1個もって。何処で電池切れを起こすかわかりませんから。行きは下り坂、幸い会社まではなんとか電池は持ちました。会社でもう一度充電。帰りは坂がきつくて・・・。電池は切れるやら、息は切れるやらさんざんでした。早く電車動かしてください。これって、東電さんの危機管理の甘さではないの!安定供給のために、事業独占をするって言ってませんでした?


2011年3月11日
今日は、大変なことが起こりました。東北関東大震災です。
今日は午後から搬入大作戦で完成した装置の検査の日でした。お客さんの検査担当と14:30に屋上の装置前で待ち合わせ。検査が開始されました。密閉された装置の最上階へ上がった時でした。照明が突然消え、それから大きな揺れが数分続きました。真っ暗中で立っていられないほどの揺れ、これは、大きな地震だ!関東大震災か?。
私の祖父の時代の事ですが、大正12年9月1日の関東大震災で多大な被害を被りました。当時岐阜の田舎から丁稚奉公で東京に出てきて、苦労して羅紗屋を神田須田町で始めていました。秋葉原の近くですね。羅紗屋とは今でいうと背広屋さんです。服のアオキ?コナカ?といった感じのお店で、丁稚数十人を抱えるほど、それはそれは繁盛をしていたそうです。それが、関東大震災で一瞬にして灰に。それから我が家の没落が始まりました。この話が一瞬にして頭をよぎりました。あー、成功しそうになるといつも地震でつぶされる、また、段ボール背負って公園デビューか?と。
でも、やっと揺れも収まって、手探りで表に出てみると何処もどうも成っていません。ホットして、会社と家に電話をかけるのですがもうかかりません。それから、検査はもうやめにして会社まで帰りました。普段なら車で1時間で帰れる距離なのに、電車が全て止まっているのでなんと3時間もかかりました。会社に帰り着くと停電で真っ暗、だれもいません。でも、会社は無事でした。今度は家。やっとたどり着いたらマンションのエレベーターは止まっていて、階段で12階に。我が家も無事でしたが、疲れた一日でした。でも、東北地方がこんなに甚大な被害を受けていることを知ったのは家に帰って電気がついてからでした。
東北地方で被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
2011年3月10日
会社の梅が満開になりました。いつも分析を担当しているSさんが植木の世話係をしてくれています。朝すこし早く来て、せっせと世話をします。おかげで、夏は野菜が食べられますし、春はきれいなお花を見ることができます。会社の前に置いたプランターと植木鉢だけですが。植物もかわいがられるときれいに咲いたり、実ったりするもんですね。Tさんが当社に来る前は、私が世話係でした。みんなしょぼくれいましたよ。愛情がないのでしょうかね。愛情がないと植木も子供も社員も育ちませんからね。社員も社長に愛情持たないと社長も育ちませんよ!それってなんだか変かな?

2011年3月3日
今日で、世紀の搬入大作戦は成功裏に終了しました。風と雨のため搬入中止の日もあり、若干の遅れはありましたがほぼ計画通りに収まりました。作業に関わった社員、協力会社の方々全員の努力の賜物と感謝、感激です。始まったときにはどうなるかと心配でしたが、いつか終わりは来るんですね。
でも、終わってしまうとなんだか寂しいような・・・。ちょうどお盆を過ぎた海水浴場のようなそんな光景と気分です。あの夏の賑わいが潮が引くようにサッと無くなってしまうような、祭りの後の寂しさでしょうか。無事に終わることばかり思っていたのに、変ですね。寂しがり屋なのでしょうか・・・。それともお祭り騒ぎが好きなのでしょうか・・・。

2011年2月20日
今日は、日本最大の製薬メーカーT社さんが藤沢市に建設をした、これも世界最大の製薬研究所の見学会がありました。竣工後、地域の皆さんへお披露目という趣旨でしたが、誰でも見学できるということで早速見に行きました。それはそれは、すごーい規模の研究所です。半導体の研究所をいくつも見ていますが、これほど大きな研究所はありませんでした。半導体工場や液晶パネルの工場ならこの規模のものはありますが。
新聞発表によりますと、「総床面積30万平方メートルの10階建てで、実験設備は国内最大級。人員は1200人規模と成る見通し。化合物の薬効、薬理を調べる生化学や遺伝子組み換え、動物実験室などを備える。」となっています。
帰りにおみやげがアリナミンでした。これからもたくさんアリナミン飲みますね。T社さんありがとうございました。社員の皆様総出の日曜出勤ご苦労様でした。ぜひ良い薬を開発して、私ががんに成ったときに救ってくださいね。もう老人だからまにあうかな・・・・。

2011年2月17日
作業が終わればもちろん安全の神様に感謝して乾杯です!藤沢駅の近くのホテルにみんな泊まっているので、いくら飲んでも帰る心配なし。肉体労働のあとのビールはうまい!とばかり、これから毎晩当社の社員、協力会社の社員と飲み会ばっかりかな?
でも、ちゃんと昼間は仕事していますから、安心してください。仕事も順調に進んでいます。小さなトラブルはあちこちでありますが、そのうちなんとか成るでしょう。また明日も6時に起きて、現場に集合、ラジオ体操、朝礼。小学校の時以来のラジオ体操、朝礼台に立つのは校長先生でなくて、ヘルメットをかぶったゼネコンのおじさん。でも、怒られることは小学校と一緒、規則をまもれ!です。
昔からガキ大将で規則を破ってよく怒られていましたから、いまも一緒かな?進歩無いな・・・・と思う毎朝の朝礼でした。

2011年2月16日
いよいよビックプロジェクトの装置装置搬入が始まりました。65トンラフタークレーンを使って世紀の搬入大作戦開始です。これから2週間も大量の人員を投入して作業を行います。クレーン車がまるで戦車のように頼もしく見えましたね。安全作業で事故も怪我もなくみなさん頑張って欲しいものです。搬入大作戦に先立って、やっぱり滋賀県大津市の石山寺に安全祈願のお札を受けに行きました。願い事はただひとつ「工事安全」でした。ちなみに霊験あらたかなこの石山寺では、願い事1件につき2千円となっています。ちょっとどうかなとは思いますが・・・・。でも、霊験あらたかだと評判のお寺です。その昔平安の貴族も祈願に通ったとか。また、源氏物語を紫式部がこのお寺の本堂よこの部屋で執筆したという伝説も残っています。ともかく古いんですね。
そんなわけで、今日から社員全員搬入現場近くのホテルに寝泊まりです。K部長一人を留守番に。なんせ、世紀の大作戦ですから。ともかく安全にお願いします。

2011年2月8日
今日はR銀行さんのご招待で、横浜のベイシェラトンでのパーティーに参加してきました。神奈川県内の各支店で、3社の社長さんをご招待とか。総勢120人位の社長さんが集まりました。当社は、厚木支店でその3社の内の1社に選ばれたそうです。びっくりです。それだけ借金しているってこと?でも、全部個人保証ですよこれって、あーあ。
もしもの事があれば確実に公園に段ボールを持ってデビューですね。あるベンチャーの社長が言ってましたが、半端でない借金をすれば大丈夫、ちゃんと銀行が助けてくれると言っていました。私は、まだまだ中途半端な借金なのですね。このR銀行さんも元はD銀行さんで、破綻して国が助けてくれたんですから。中途半端な額じゃなく、社会的に問題な額の負債なら大丈夫なのですね。でも、R銀行さんは頑張って近々国からの借金を返すそうです。偉い!I社長、さすが山岳部。
R銀行さんの社長のIさんと歓談しましたよ。実は、前の会社Nマイクロで一緒に仕事をしていたH君、今はステリ何とかという会社に代わりましたが、学生時代に香川県の大学寮でIさんと一緒だったそうです。一度お会いしたら覚えておられるかどうか聞いて欲しいと言われたので、ちゃんと聞いておきましたよ。

2011年2月7日
今日は、会社に哲学者の来客がありました。日本における「現象学」研究の第一人者である新田義弘先生、ご夫婦で会社見学に来て頂きました。なんで・・・?
実は、私の叔父さんなんです・・、はい。子供の頃からできの悪い私を心配して、会社をみに来たというわけです。何か悪い事しているんじゃないか、借金は大丈夫か?などなど。
時々出版した本を頂くのですが、著者謹呈と書いてと無理を言って書いてもらいますが、実は、いまだに一冊も読んだことがりません。叔父さんごめんなさい。寝る前に読もうと思って、本を開くと1ページ、いや1,2行で眠り込んでしまうので、結局睡眠薬代わりに今もなっていて、そりゃー結構役に立っていますよ。昨年法事で親戚が集まったときに、同じ事を言っていた親戚の人が居ましたので、安心しています。
私の子供の頃ですが、この叔父が、私に、「私は哲学者だから人のことがよくわかるんだよ、君は、心の優しい人だからきっと幸せになれるよ」と言ってもらった事がずっと心に残っていました。辛いときも、悲しいときも、そうだいつかは幸せになれるんだとがんばってきましたよ。まあ、優しい言葉や、ほめ言葉は、気持ちよく心に残るんですね。私も社長として気を付けよっと。
