今日は今年最後のお勤め日です。仕事納めに忘年会をやりました。会場は、伊勢原駅近くのレッドピーマンです。レナテックおすすめのイタリアンです。伊勢原市食べログ4.2です。もちろんレナテック社内評価食べログですが。とても美味しくって安いんですよ。ぜひ、お近くの方はご来店ください。今日も飲み放題で盛り上がりました。今年最後の盛り上がり、明日から1月5日の初出までお休みです。読者の皆様、今年一年ありがとうございました。また、来年もよろしくお願いします。
今日は今年最後のお勤め日です。仕事納めに忘年会をやりました。会場は、伊勢原駅近くのレッドピーマンです。レナテックおすすめのイタリアンです。伊勢原市食べログ4.2です。もちろんレナテック社内評価食べログですが。とても美味しくって安いんですよ。ぜひ、お近くの方はご来店ください。今日も飲み放題で盛り上がりました。今年最後の盛り上がり、明日から1月5日の初出までお休みです。読者の皆様、今年一年ありがとうございました。また、来年もよろしくお願いします。
レナテックオープンゴルフコンペを今年も開催いたしました。場所は、リバーサカワGC、ご存じない方も多いと思いますが、御殿場線の山北駅から少し山に入ったところにあります。結構ローカルなゴルフ場ですが、なかなか一筋縄では行かないコースです。お陰様で、7組のコンペとなりました。ご参加いただいた皆様ありがとうございました。勝敗は、Wペリア方式で行いました。ちなみに私は準優勝、初めての経験です。
どうです、一寸自慢げですね。来年は、場所を変えて、山梨のオリンピックGCを予定しております。どうかご期待ください。
今年も熊本で行われた半導体業界OBのゴルフ大会に出席してきました。その名も「ユートピアゴルフクラブFAR WEST」かつて米国と貿易摩擦を起こしたほどの産業のそうそうたるメンバーです。でも、今はただの年金生活者グループ。かつての栄光とも、競合相手とも関係無く皆仲良くゴルフを愛する生活をしています。いつまでも続けられるといいですね。来年ももちろん参加しますよ。
有志が集まって某社のOB会を行いました。もちろん神戸牛焼き肉パーティですよ。随分久しぶりの方も多かったのですが、全然違和感がなく昔にタイムスリップでした。楽しかったのでまた来年の秋にやりましょう!某社OBの方で来年参加ご希望の方、メールください。宛先は、info@renatech.netです。
札幌近郊の町で回転寿司を食べました。地元のタクシーの運転手さんからご推薦を受けて行きましたよ。安くて旨いのは、「スシロー」だと思っていましたが・・・。北海道はまた事情が違うのですね。北海道にきたら「トリトン」ですよ。手塚治虫の漫画に「海のトリトン」というのがありましたね。もともとトリトンは、海王星の大きな衛星の名前だそうです。名前の由来は,もちろんギリシャ神話のポセイドンの息子トリトーンから来ています。それは、ともかく、旨い、安い、しかし超混んでいます。予約は出来ません。1時間は待つ覚悟が必要です。ネタはすごいです!もし北海道へ出張されたら是非お立ち寄りください。余談ですが、宣伝費は一切いただいてい下りませんので、はい!
余市でニッカの工場見学の後、小樽方面に向かって帰ると、豊浜トンネル岩盤崩落事故現場がありました。1996年の冬、トンネルを通過中のバスと乗用車が上から落ちてきた巨大な岩盤にトンネルごと押しつぶされた事故です。テレビで何日も中継していた覚えがあります。結局事故に巻き込まれた20名全員が即死という状態だったそうです。あの事故はここで起こったんだ。北海道の事故という記憶はありましたが・・・・。そのトンネルはもう長年にわたって閉鎖されていますが。
ご冥福をお祈りいたします。
そのトンネルのそばにアイヌの伝説がありました。昔この村の漁師が一匹の犬を飼っていました。漁師は、犬を可愛がり、犬も猟師によくなついていました。あるとき、漁師は仲間と共に沖へ漁に出かけ、犬は、いつものように海岸で漁師を待っていました。ところが突然暴風になり、主人の漁師は帰ってきませんでした。暴風雨は何日も続き、犬は海岸で主人の帰りを待っていました。ある夜、犬の遠吠えが聞こえ、次の朝暴風雨はやみ、海は穏やかになりました。海辺に犬の姿がなく犬の遠吠えをした姿の岩が忽然と現れました。人々はその岩を「セタカムイ」(犬の神様)と呼ぶようになったそうです。(写真の岩がセタカムイです)悲しい伝説の場所で悲しい事故が起こったのですね。
ニッカ創業者竹鶴政孝についてお話します。10月からNHKの朝ドラで放送が始まります。「まっさん」という題名だそうです。政孝の奥さんは、彼がスコットランドにウイスキー製造技術を勉強にいったとき知り合って結婚をしたリタさんが、政孝と発音できずマッサン、マッサンと呼んでいたことからこの題名になったのです。広島の竹鶴酒造(今でもあるそうです)の三男として生まれ、お酒に興味をもって、阪大の前進大阪高等工業で醸造学を学びます。そのご、洋酒の老舗である摂津酒造に入社。ここで本格的ウイスキーを製造する計画があり、政孝は、スコットランドへ単身留学をします。苦労の末、ウイスキー作りのノウハウと美人の奥さんを手に入れて帰国をしたのです。ところが、折からの世界大恐慌でウイスキー工場建設計画は頓挫します。今度は、洋酒製造販売業者の壽屋(現在のサントリー)がウイスキー製造をに乗り出そうとします。そこで、社長の鳥居信冶郞が政孝をリクルートし山崎に蒸留所を建設するわけです。しかし、意見の合わないところもあり、サントリーを飛び出して、余市に自分の思い通りのウイスキーを作る計画をたてますが、問題は、資金です。その資金を出してくれたのが、妻のリタさんが英会話を教えていた生徒の夫、加賀証券社長の加賀正太郎という人です。加賀正太郎と加賀の友人の2人が株主となってスタートをしました。そして、苦労の末ウイスキーを製造販売する企業となったわけです。しかし、ここで、私見ですが、竹鶴政孝は確かに素晴らしい技術屋でしたが、経営者としては失格だと思います。後に、加賀正太郎は、昭和29年に不治の病に倒れた時、もう一人の株主とともに全株式をアサヒビールに売却をしてしまいます。それ以降アサヒビールの子会社になってしまったのです。
この写真は、竹鶴政孝が執務をした事務所です。こんな小さな事務所で一人頑張って居たのですね。
さて、優秀な経営者なら、創業時の株主を分散させ、将来の危機にそなえなければなりません。人の気持ちは変わります、株主も人ですから気持ちも状況も変わるのです。株主がまとまって、会社を売られないように、いろいろな人に出してもらうのが正解でしょう。幸い朝日ビールからはたった一人の役員しか送り込まれずに、自由にウイスキー作りができて、ニッカという名前が残ったのは幸いでした。このことによって、竹鶴政孝のウイスキー作りに専念した情熱に感動した気持ちは変わっていませんがね。本田技研の本田宗一郎に藤沢副社長がついていなければ同じ運命になっていたかも知れません。竹鶴政孝に私がついていれば、ニッカは違った道を歩んだのに! 一寸自信持ちすぎ!「はい、すみません」 <THE END>
蒸留されたウイスキーは、オーク材の樽にいれられてこの倉庫に入れられます。熟成という行程ですね。その年月は、10年、20年という長い年月をかけるのだそうです。
熟成されたウイスキーは、一樽一樽みな味も臭いも違うそうです。その味の違うウイスキーをブレンドして出荷するのです。同じたるからだけで作ったウイスキーを「シングルカスクウイスキー」といいますが、余市蒸留所でしか販売していません。余市蒸留所で作ったウイスキーだけを混ぜたものを「シングルモルトウイスキー」というそうです。複数の蒸留所で作ったウイスキーを混ぜると「ピュアーモルトウイスキー」これにトウモロコシが原料のウイスキーを混ぜると「ブレンデッドウイスキー」だそうです。少し勉強して帰って来ましたね。
余市蒸留所に売店がありこのお店では、シングルカスクウイスキーを売っています。一樽をそのまま瓶詰めにしたものです。ちょっと高価なのですが、買って帰りました。味はよく分かりませが、ありがたく飲ませていただきました。
創業者の竹鶴政孝は、余市にウイスキー工場を作るのですが、出荷してお金になるのが10年後ということで、リンゴジュースを作って日銭を稼ごうとしたそうです。そこでこの社名は、大日本果汁株式会社と命名されていました。この大日本の「ニチ」と果汁の「カ」からニッカと後に社名変更されたのだそうです。 <To be continued>
今日は、余市に行きました。ここは、あの有名なニッカウイスキーの蒸留工場のあるところです。ああ、ニッカね。という感じで見学をさせていただきました。可愛いお案内の嬢さんの説明を聞いている内に感動がわき起こりました。また、感動?と思われますが、私は、人に感動しやすい達なんですね。竹鶴政孝、ニッカの創業者で、サントリーウイスキーも彼の作なんです。日本に初めて本格的ウイスキー製造技術を持ち込んだ人なのですね。彼は、今で言ういわゆるベンチャー企業家です。まずは、その余市蒸留所の工場見学をご紹介します。
これは、麦芽を乾燥・燻蒸するキルン棟です。ウイスキーの原料は大麦ですが、これを発芽させた大麦麦芽をこのキルン棟で、ピートを燃やして乾燥させ同時にピート独特の香りをつけます。ピートは、草炭とよばれ、水辺の植物が堆積して石炭になったものです。乾燥させた麦芽に水を加えて発酵させ、その後蒸留をします。
これが、竹鶴政孝がスコットランドに留学をして、学んで帰って来て独自に日本で作らせた銅製の蒸留器です。石炭の直火炊き蒸留器はこの余市にしか残っていません。石炭のくべ方で温度を調整するため職人技が必要なのです。蒸留器の底に少し焦げ付きが残り、その香りが独特のウイスキーの深みを出します。写真の作業員のお兄さんとお話をすることが出来ました。「貴方のうでがが、ウイスキーの味を付けるのですね。」と、彼は、目を輝かして「そうです。若い頃は釜をこがしてよく怒られました。まだまだ修行です。」職人ですね。私はすっかりニッカウイスキーの虜になりましたよ。これからは、ニッカしか飲まないぞ!どんなに綺麗なお姉ちゃんがスナックでキリンを勧めても! <To be continued>
小樽には、にしん御殿というお屋敷がいくつかあります。その中でも旧青山別邸というお屋敷が小樽貴賓館として観光客を集めているようです。私も見学をしました。青山家は明治大正を通じ、にしん漁で巨万の富を築きました。その3代目の政恵(女性)は、山形県酒田市の大地主本間家にあこがれ、本間家以上の家をと贅の限りを尽くして建てたといわれています。当時本間家は、「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」といわれるほどの日本一の大地主でした。青山家が山形の出身と言うこともあり本間家と交流があったそうです。当時新宿の有名デパートの建設費が50万円、このにしん御殿が31万円だったそうですから、いかに贅沢であったか。その後、にしん漁は取りすぎたためか不漁になっていき、遂に衰退をしていきます。
確かに、御殿は残りましたが、それだけの富を集めながら事業継承ができなかった青山さんは、経営者としていかがなものですかね。にしんがいずれ採れなくなることを予測して、その保護に投資するとか、または、別の新規事業に投資するとか、自分の欲望の実現のために儲けをつぎ込んでしまうようでは、経営者失格だと思いますね。なんだか寂しさと虚しさの残るお屋敷でした。