今日は学会発表の日です。ポスターセッションでの発表となりましたが。
各国から集まったバイオの研究者が、ボストンで発表できるという栄誉に燃えています。その割には、参加者が少なかったが残念ですが。発表内容の抜粋です。
今日は学会発表の日です。ポスターセッションでの発表となりましたが。
各国から集まったバイオの研究者が、ボストンで発表できるという栄誉に燃えています。その割には、参加者が少なかったが残念ですが。発表内容の抜粋です。
LOWELLという町があります。ボストンから車で1時間ほど離れた町に玉さんが住んでいます。玉さんは、昔ボストンに住んでいましたが、ローウエルに大きな家を買って移り住みました。今日は、ローエルを見学に行きました。
この町は、メリマック川沿いにあり豊富な水力を使って、19世紀に繊維工業で栄えました。多くの移民や出稼ぎ労働者が工場労働者として集まり栄えました。しかし、20世紀に繊維工業の衰退とともに衰退し、現在はその工場の建物、景観がthe Lowell National Historical Parkとなっています。とてもクラシックなアメリカらしい綺麗な町です。
アメリカらしいと言えば、この町では、駐車違反を取り締まっている警察官がセグウエーに乗っていることです。なんだか警察官までNational Historical Parkのようです。
今日は、ボストンから高速で40分ほど走ったウイルミントンという町にあるチャールズリバー社を訪問しました。この会社は、実験動物のブリーダーで、世界的に有名な会社です。実験動物の老舗的なイメージでしょうか?日本でも脱臭器ではいろいろお世話になっている会社です。表敬訪問をしましたよ。
朝ダンキンドーナッツのお店で、玉さんと待ち合わせをしました。ダンキンドーナッツ、なんだか懐かしい名前です。もう日本では全く見かけなくなりました。しばらくこのドーナッツ談義にお付き合いください。
米国では、ミスタードーナッツはもうありません。全てダンキンドーナッツなんです。ダンキンドーナッツは、全世界で6000店舗をもつ世界最大のドーナッツチェーンだそうです。創業者は、ユダヤ人ウイリアム・ローゼンバーグ。妹の夫ハリー・ウィノカと一緒にダンキンドーナッツを創業しましたが、やがて仲たがいをしてハリー・ウィノカは、ミスタードーナッツをボストンで創業します。日本では、ダンキンドーナッツがセゾングループと提携し、その後吉野家のグループに買い取られますが、最後は失敗して撤退します。ダンキンドーナッツがセゾングループと提携し、日本進出を始めると、ミスタードーナッツのハリ・ウィノカは焦ります。そして、フランチャイズ研究協会の創立者ルビン・エバンス博士に相談をし、それなら、ダスキンの鈴木清一社長がいいでしょうということで紹介をします。そして、来日し鈴木社長に語ったことは、「私どもミスタードーナッツのお店では、お客様に真心を買っていただいているのです。その真心は一つ一つのドーナッツの中にあります。お客様を迎える微笑みの中にも、お店を包む柔らかな光の中にもあります。閉店間際に来てくださるだだひとりのお客様のためにも、私たちはショーケースいっぱいの豊富に品ぞろえしたドーナッツを用意しております。そのために数多くのドーナッツがあまったとしても、最後に来てくださるおひとりのお客様のために尽くすことが私たちの務めだと思っております。」と語ったそうです。鈴木清一社長はおおいに感動して、フランチャイズでこの事業を開始します。その結果現在日本では、ミスタードーナッツの店舗数は、1303店舗。全てフランチャイズで活躍をしています。
しかし、アメリカではその後、1990年にダンキンドーナッツがミスタードーナッツを買収し、すべてダンキンドーナッツになってしまいましたが、現在ダスキンが経営するミスタードーナッツは、アジアを中心に発展をしているそうです。フランチャイズ加盟店を大事する鈴木清一社長の志を引き継いだダスキングループならではのことだと思います。事業はお金より志なのですね。
ボストンでがんの研究をされている日本人14名と交流をしました。これもすべて玉さんの人脈です。玉さんは、ボストン在住30年以上。日本から赴任してくる方々のお世話をされています。そのつてもあって、今回学会発表するMetallo-Balanceを皆さんに発表してご意見を賜りました。とても有意義なパーティーになりました。会場はユニオン・オイスター・ハウス。昔、ボストンに到着すると一番に行っていた、ケネディー大統領も愛したロブスターの有名なお店です。
まあ、イセエビほどは美味しくありませんが。でかいです。
ボストンは、ハーバード大学を中心に、医療関係の研究機関が沢山あります。有名なダナファーバーがん研究所、Brigham and Women’s Hospital、Harvard Medical School、Massachusetts General Hospitalなどなど。ここで研究をしている日本の秀才ドクター達と交流ができたことは、素晴らしいことでした。
懐かしきボストン、懐かしき玉さん。玉さんは、松原玉さんという通訳です。7年間私の相棒を務めていただき、それはそれは、すごい助っ人でした。前職での提携先アイオニクスの技術導入に成功したのは、ほとんど玉さんのお蔭だったと今も感謝しています。当時は、GYOKU BLOCKさん。旦那さんはユダヤ人の技術屋さんでした。よく家にも遊びに行きましたし、旦那さんとも二人の娘さんともバーベキューをしたりして交流がありましたよ。でも、今は、訳あって、松原玉さんと旧姓にもどりましたが。
今日の訪問先は、そのアイオニクス社のある場所を通って行くところにあります。玉さんの車に同乗して、アイオニクス社経由で行くことになりました。
しかし、しかし、…….
訪れたアイオニクスの本社は、もぬけの殻に。貸しビルの看板がでていました。1948年から60年以上も続いた会社だったのですが。私が独立した2006年ごろにGEに買収され、同時に主だった人々もアイオニクスを去りました。その後GEウオーターズと社名を変更して事業継承をしていたのですが。GEが買収したのは、アイオニクスがとても技術力の高い良い会社だったからです。決して経営に行き詰った訳ではありませんでした。一部の株主と経営者がお金に目が眩んで売却をしたのです。私が付き合っていた当時ゴールドシュテインというユダヤ人の社長でした。なかなか人間味のある人で、社員を大事にしていました。誕生会などを社内でするという、なんだか日本的な会社でしたが。その社長がリタイヤし、その後ハーバードビジネススクールを出た新社長がトップになってから、だんだんおかしなことになってきました。ストックオプションを連発し、相当個人的に儲けたようです。その結果が今日のアイオニクスです。なんだか現代のアメリカ社会を反映しているような光景でした。社員のモラールが下がるとこのような結末になるのですよ。経営陣は心しなければなりませんね。
さあ、いよいよ懐かしのボストンへ出発です。私は、前職で、ボストンにある純水装置メーカーのアイオニクス社と技術提携をし、技術導入をするという仕事を1997年から7年間行いました。また、ボストンには、他に取引をしている会社がありました。それは、コーニングコースターというフィルターのメーカーでした。その様な訳で、毎年3~4回ほどボストンを訪問していたので、とても懐かしい記憶があります。当時は、直行便がありませんでした。ノースウエストを良く使っていたので、成田からデトロイト経由でボストンへというコースでした。12時間近くかけてデトロイトまで飛び、そこで3時間ほど待ち時間があり、その後3時間ほどかけてボストンへという今思うととても長く疲れる旅でした。しかも、限られた予算で、出張回数を稼ぎたかったので毎回エコノミー席で行きました。当時は若かったのと,仕事に燃えていたので苦にはなりませんでしたが。
今は、12時間ほどでボストンへ直接成田から行くことが出来ます。JAL便が毎日1便飛んでいます。この便は、ボーイング787という最新鋭の飛行機でとても快適でした。でも、社長になった今でもエコノミー格安チケットですが。
ボストンへは夕方6時過ぎに到着をしました。早速タクシーでダウンたんへ。今回のホテルは、ボストンがベストシーズンということもあって、とても高く、ホテルまでエコノミーにしましたよ。
コプリハウスというホテルで、3Fの部屋は、相当古そうですが、なかなか趣のある部屋でした。アパートのようなホテルでちょっとした自炊もできるのです。その代わり、レストランなどはありません。結局日本のビジネスホテルに泊まっている感覚で、コンビニで朝食を調達することに。幸いセブンイレブンが近くにあり、日清のカップメンがあったので、それを買って毎朝の朝食にしたのです。ありがとうセブンイレブンさん、日清さん。前職でボストンに来ていた時の方がずっとリッチだったなあ・・・・・.
3月に着工した分析研究センターが完成しました。この研究所は、血液の成分からがんの診断をする研究のために建設しました。新たな事業として、この3年間ほど研究に取り組んできましたが、やっと実用化のめどが立ったので、思い切って建設することになりました。そうです2月23日のブログに地鎮祭が載っています。その建物と設備が完成し、稼働を始めましたよ。
いよいよ明日ボストンへ出発します。その研究成果をGlobal Biotechnology Congress 2015で発表します。(発表内容は、ボストン旅行記その6に掲載)
では、成功を祈っていてください。世界をアッと言わせて帰ります。
会社のウッドデッキの天井にスズメバチの巣が出来ました。みんな気づいていなかったのですが、大きなハチが玄関のウッドデッキの天井を飛んでいると男性社員のF君が見つけました。それから大騒ぎです。伊勢原市役所で、ハチの防護服を無償で貸してくれると聞いて早速借りにいきました。
年寄りのSさんがハチ取の役をかって出てくれました。防護服を着るとまるで消防士のようです。いよいよ特攻隊突入ということになりました。でも、無事に蜂の巣はビニール袋の中に納まり、殺虫剤で処理することが出来ました。
まだ、小さな蜂の巣だったのでよかったです。黄色スズメバチでした。結構毒が強くて危ないハチです。皆様もご注意を!
梅雨の合間にゴルフに行きました。池越えのショートでティーグラウンドに立つと池の端にシカがいます。人が近寄っても池から離れようとしません。よく見ると、池に小鹿がはまってしまっていました。池のふちが高いので、小鹿が上がれないのです。母親シカは、心配そうに見守るしかありませんでした。池の反対側は、ふちも低くそこなら上がれるのですが、親シカが動こうとしないので、小鹿もそちらの方ばかりに寄ってきます。しばらくするとゴルフ場の人が出てきて、ロープで小鹿を助けました。あー良かった。生まれて間もないような小鹿でした。母シカと一緒に山の方へ帰ってきました。
ついでにもう一つ、世界遺産に登録された富岡製糸場を見学してきました。明治の産業の礎を築いた記念すべき工場なのですね。この工場は、最後は、片倉工業が所有していました。工場閉鎖後も片倉工業は、「貸さない、売らない、壊さない」を守って残したそうです。大したものですね。片倉工業は、明治6年の創業で、繊維業で財を築いた会社だそうです。でも、繊維業は没落していきましたよね。ちょっと気になるので、片倉工業を調べてみました。資本金18億円、売上400億円ほどの会社です。事業内容は、繊維、機械、医薬品、不動産ですが、医薬品事業が33%、繊維は、21%の売り上げです。しかし、不動産以外は全て赤字。結局不動産だけで持っている感じですね。この富岡製糸場の土地も2005年に富岡市に譲渡されているので、不動産収入が相当あったと考えられます。経営者の苦労がわかりますよ。頑張って新しい事業で儲かるよになってください。