2013年3月28日

今日はいいお天気です。大家さんの梅畑の桜が満開なので、梅畑を借り切って、お昼にお花見昼食会としゃれこみました。昼食にお寿司弁当を買ってきて、倉庫にあったブルーシート敷き詰めお花見会場を作りました。本当のお花見大会は4月6日に予定しているのですが、桜はもう散って無くなっていそうなので、本物の桜の花の下でせめてお昼でもという、私が朝思ついた企画でした。迷惑なのは社員ですね。「エー!また始まったのかよ!」と愚痴が聞こえてきそうです。いいのいいの、「人生、生きているうちが花。持って死ねるのは思い出だけ!」さあ-皆さんこの春爛漫を精一杯楽しみましょう。
2013年3月26日

今日は、3月の誕生会をやりました。3月の該当者は、1名です。KK取締役管理部長一人でケーキを独り占めです。今年でおいくつですか? 今年も秘密なんですね、ハイハイ!
2013年3月22日

今日は東京に出たついでに、千鳥ヶ淵の桜を見てきました。桜が満開です。例年なら4月5日~10日頃が見頃なのに今年はチョット変です。3月に東京の桜が満開とは。観光バスや旅行会社が大打撃を食らっているようですね。皆さん4月にお花見旅行を計画されているでしょうから、急に3月に変更なんか出来っこありませんし。今年は、上野公園のお花見席取りもガラガラで必要ないようです。レナテックのお花見も4月6日の土曜日に計画しているのですが、お花の無いお花見になりそうです。そうだ!東京へ出たついでに浅草のカッパ橋へ行って、桜の造花を買ってこようっと!カッパ橋は、業務用の調理器具や看板などを売っている大きな商店街です。大阪の道具屋筋を大きくしたような所です。
2013年3月22日

今日は、近所にあるゴルフ練習場でお知り合いになった方が主催する「楽ゴ会」というコンペに参加してきました。メンバーの90%がリタイヤ組・年金生活者で、かつての日本の繁栄を支えてきた方々です。私は、まだ現役ですが、そろそろお仲間入りを考える歳になってきました。毎日日曜日、ストレスの無いのがストレスという生活を早く体験してみたいものです。
なかなか楽しい一日でした。全く仕事の話は無くて、どんな仕事をしていたのか、そんなことは話題にもなりません。今日を楽しく生きて、孫が可愛くて、出来るだけ健康の時間が長ければ・・・そんな感じでした。輝ける老後、大丈夫かな?出来るかな・・・・。
2013年3月16日

今日出張からの帰り道、家の近所の上宿観音の境内にある木蓮が満開でした。今年は木蓮が満開になるのがチョット早いように思います。例年は3月末頃だったと記憶しているのですが。22年前の3月末に大阪の箕面市にある実家から、前職の転勤で秦野市に転居しました。転居した借家の近くの木蓮が満開なのを見て、大阪の実家に残してきた木蓮も今頃満開なんだろうなと寂しく思ていた記憶があります。関西人から関東人になってもう22年が経ちました。大阪弁の抜けない変な関東人ですが。人は何処に飲む水があるのか解らないものですね。この先も・・・・。木蓮を見てチョットしんみりしてしまいました。出張疲れからでしょうか?
2013年3月7日

お仕事の話です。今回の旅行はお遊びでは無いのです。まじめなビジネスですからね。前出のタイの商社、T社はどんな会社なのか見に来たのですから。そのT社本社ビルの写真です。これ全部?そうなんです。間借りじゃなくて、自社ビルで、T社が全部使っているんだそうです。本社だけで、300人の従業員と聞いてびっくり。関連会社を含めると何人いるのか解らないだって。こんな大きな会社があんな小さなレナテックと総代理店契約を?ビックリしましたね。まあ、でも営業力を見なければと、T社の営業と一緒に大学や製薬会社を回りました。

この方々が営業です。クラブで接待を受けた後の写真では無いのです! タイの会社では女性も男性と同じように活躍しているんだそうです。素晴らしいことですね。可愛い営業ウーマンと同行する楽しい日々を送りました。でも、仕事の方も結構人脈を持っていますね。合格!可愛いからではありませんよ、まじめに。でも、写真では鼻の下長いかな・・・・。


T社の正面玄関にはガードマンが2人も立っています。レナテックのウサギの門番とは大違いですね。

で、最後は社長室で社長のお嬢さんの社長秘書も交えて、よろしくと記念撮影をして来ましたよ。なんだかレナテックの貧乏社長と違ってとてもお金持ちのようでした。タイの富豪てとこでしょうか。でも、「人はお金を持って死ねないのですよ。持って行けるのは思い出だけ!」これって、貧乏人のひがみですかね。ちなみにこの社長さんも敬虔な仏教徒で、社長室の横にお寺の本堂のような仏像部屋がありました。
2013年3月4日

バンコクの繁華街へ行きました。大通りの写真です。15年前に来たときはバイクの洪水で、空気は排気ガスで汚れていてマスクをしないと歩けないくらいでした。でも、いまは、ほとんどが乗用車です。3輪車タクシーのツクツクは、今でも健在でしたが。空気もとても綺麗に感じました。ただ、東南アジア1の渋滞には閉口しましたが。

3月は、タイの夏だそうです。学校も3月から5月までは、夏休みなんだそうです。バンコクでは冷房バスが走っています。このバスは窓が開きません。でも、料金が少し高いそうです。で、庶民は、冷房のない窓あきのバスに乗ります。

同じ路線を両方のバスが走るなんて、日本では信じられませんね。でも、15年前に比べると格段に生活レベルが上がっていることを実感できました。タイ経済の逞しさを感じましたよ。これからは、タイだ!
2013年3月2日

またまた、東南アジアに来てしまいました。2月にインドネシアに行ったばかりですが。3月はタイのバンコクに来てしまいました。遊び?いえお仕事ですよ。15年ほど前にバンコクに遊びで来たことがあります。15年経つとタイもどの程度変わっているのか見るのが楽しみです。インドネシアから戻ったら、タイの会社の社長さんがレナテックを突然訪問されました。何処で調べたのでしょうか。光触媒脱臭装置のタイにおける総代理店をさせて欲しいとのことです。ビックリしましたが、でも、実際にその会社を見せてもらわなければね。とひとりでタイに出張ということになりました。

タイに着いたらもちろんタイ式マッサージですよね。タイに来る前に紹介してもらった、チョット高級なタイ式マッサージ店へ行きました。もちろん、おばさん・おばあさん?の出てくる健全なタイ式マッサージのお店ですよ。二時間で1500円でした、安いですね。長旅の疲れもとれて明日からお仕事です。

マッサージ店を出てホテルに戻ろうとしたら、面白い物を発見。これ電話線ですよ。どうやって工事したのかな?どうやってメンテナンスするんでしょうね。やっぱりタイですね。
2013年2月22日

2月の誕生会を行いました。2月は、今年も開発研究所長のI君一人です。まだ、2月生まれの社員が入社していないということですね。で、小さなケーキでお祝いをしました。また、今年一つ歳をとったことに。あー1年てあっという間ですね。
2013年2月13日

いよいよ今日は、インドネシア旅行の本当の目的地に行きました。父はポンチャナック事件に巻き込まれて、終戦の年、1945年から1年間をこの地でオランダが管理する刑務所に収監され筆舌に尽くしがたい1年間を過ごしたのです。日本に帰国して私が生まれました。私が中学生の時に父は亡くなったのですが、インドネシアでの事情を一度も語ることがありませんでした。ただ、オランダ兵に蹴られた腰が時々痛くなると言っていただけでした。
ポンチャナック事件の概要ですが、日本の敗戦色が濃厚になってきた終戦末期に、巻き返しを計るオランダのゲリラと華僑が組んで、武装蜂起し一気に日本軍を壊滅させるという計画がおこりました。12月8日にある祝賀会がインドネシア婦人会と日本人、軍人により執り行われる予定でしたが、この祝賀会で毒をもり、一気に武装蜂起するという計画だったそうです。この計画が明るみに出て、現地の憲兵隊が千人近い人々を逮捕し、処刑したという事件です。ポンチャナックから90kmほど離れた田舎町マドール地方で、その悲劇がおこりました。そのために現地ではマンドール事件というのです。その処刑をされた場所がそのまま墓地になっています。その墓地に、日本軍が現地の人々を処刑をするレリーフが記念碑として建っていました。そこにお参りをするというのが今回の旅の目的でした。

そのレリーフの中央に建っている碑の石版に写真の文字が書かれていました。「思い出にするだけではなく、あなたの闘争精神をすべての植民地支配への闘いに貫いて欲しい」と書かれているそうです。終戦後オランダ軍がポンティアナックに戻って来ましたが、この事件を戦犯として裁判を始めました。日本に帰っていた軍の関係者も連れ戻され、終戦で帰国しようとしていた民間人も軍人も連れ戻され裁判が始まりました。戦後のどさくさのいい加減な裁判だったようで、現地の人を集めて、この日本人は悪い人か、いい人かと尋ね、悪いと言われるとみな刑務所送りだったようです。オランダがインドネシア植民地統治を続けるために利用されたような裁判でした。その後日本軍の責任者数十名が銃殺刑に、父は1年間の禁固刑に服しました。多分マレー語の出来る父は、日本軍に尋問の通訳をさせられていたのではと想像しています。現地へ赴任した父は、現地の酋長や要人との親交も深く信頼関係を築いていたようです。そのことが逆に仇になったのかも知れません。
これで、死ぬまでに一度ポンティアナックを見てきたいという願いが叶いました。ポンティアナックからジャカルタ経由で成田にもどりました。父の冥福を祈りつつ。